誕生日祝いを断ったその後 ~親を見たときの自己嫌悪~
誕生日を親に祝われるのが嫌だという記事をこの間書きました。
この話があったのは先月の中頃で、
父親から受けた誘いをその場で断ったら文句を言われ続けましたが、
数日後にはメールで「無しにしよう」と認めてもらいました。
しかし、今月の中頃になってから進展があったので、
親を見たときの自己嫌悪の気持ちと合わせて話していきます。
再度父親から誘われる
食事をしたときその場で断り、
誕生日祝いを無しにするところまでは良かったのですが・・・。
今月の中頃、今から数日前になって再度誘いのメールを送ってきました。
母親と同様に父親も
「誕生日当日前後ではないから誕生日祝いではない」
という言い分のようですが、
正直誕生日当日でもそうでなくても同じだと捉えています。
もちろん当日に「おめでとう」と祝われるのと、
それ以外の日に言われるのは自分にとっての意味は違います。
でも、誕生日から数日ずれた日に食事をしようとすることは、
私の誕生日を祝いたいわけではなく、
私と会うことでただ満たされたいだけなんだと思います。
それで私も満足できるなら良いんですけれども、
逆に苦痛でしかないので、また断ることにしました。
今年はもう会わない
再度誘いのメールを受けて面倒くさいな~と思い放置してたら、
もう1通メールを送ってきました。
こっちが無視するのは行きたくない気持ちの表れなのに、
そういった気持ちを察することもなく、
もしくは察していても自分のエゴを押し通し、
「年内で都合のいい日を送ってくれ」と言われました。
毎月会っているとこちらの精神がしんどいので、
「先月会ったばかりだから来月以降にしてくれ」
といった内容で返信しました。
それに対するリアクションは今のところないですが、
会う頻度を2ヶ月に1回にすることをルールにしようと思います。
(毎月会うよりはマシ)
ひとまず年内に会うことは避けたい。
親の私に対する依存
親と食事をすることの根本的な問題は、
私に対して過度に依存していることだと思います。
自分(親)が寂しいから子供に依存する。
でも依存されたところで私にとっては苦痛なので、
そんな要求を受け取るつもりはありません。
親を見たときの自己嫌悪
親を擁護するつもりはないですが、
私も他人に依存したい気持ちが強いのでよく分かります。
- 自分には価値がない
- 誇れるものを何も持っていない
- 自分に自信がない
- 他人にすがって安心したい
と精神的に自立していないので、他人にすがろうとするんです。
そんな親の姿を自分と重ね合わせると自己嫌悪に陥ります。
親の他人依存的なところを嫌うと同時に、
自分もそうであるという事実が胸を突き刺します。
自分では直したいと思っていても、
両親を含めて家族全員が依存体質なので、
幼い時から染み付いた考え方を変えるのが難しいです。
「自分が依存的になってしまったのは親のせいだ」
と親を責める気持ちをずっと抱えています。
(その考えも依存的)
まとめ
親が依存してくるのは親の依存心の問題で、
その問題を自分の問題に重ね合わせると、
とても胸が苦しくなりました。
そんな他人依存的な男(自分)なんて価値がないとさえ思っています。
こういった自己嫌悪する機会を少しでも減らすよう、
親との関わりを減らしていこうと思います。