なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

元号不要論  〜永遠と平成でいいじゃない〜

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最近「平成最後の夏」というフレーズが目立ちますが、

自分はあまり元号を気にしていません。

 

平成最後だからといって気温は快適になりませんし、

平成が終わっても夏は訪れます。

 

今回は元号に対する疑問についてまとめ、

基本的に元号は要らないというスタンスで話していきたいと思います。

 

 

元号があるのは日本だけ?

実は、元号制度を現在も続けている国はなんと日本だけなんです。

元々は紀元前の中国で生まれたもので、過去にはベトナム朝鮮半島でも使用されていました。

中国から伝わってきた元号制度が日本で初めて使用されたのは645年のことで、

あの「大化の改新」の「大化」が日本初の元号です。

 

当時は中国も朝鮮も元号を使用していたのですが、

中国は清朝滅亡の1911年、朝鮮は日韓併合1910年に廃止してしまいます。

正確には中華民国の建国を元年として「民国」という元号があるのですが、

今は日常的に使われていません。

 

結局、天皇(皇帝)に政治権がなくなってからも元号を導入しているのは、

日本だけになりました。

 

元号は何のためにあるのか?

世界唯一元号を使用している日本ですが、

一体何のために元号を使っているのでしょうか?

 

色々と元号存続の理由が語られていますが、

私は天皇の権威とナショナリズムのためだと考えています。

 

天皇家って日本人にとって神秘的ですよね。

皇居という一般人が入れない聖域に住んでいて、

普段何をしているのか分からない。

 

一方で、国家の象徴であり、国事行為を行なっているので、

不思議でありつつも尊ぶべき存在であると思っています。

 

そのような天皇が亡くなると、

通常のテレビ番組が放送されなくなり、

国全体がどんより沈んだ雰囲気になったと聞きます。

 

天皇が亡くなったことにより、日本国民が一体となり、

同じ方向を向いたのだと思います。

この国民が同じ方向を向いた状態が、国家に対する個人の忠誠心の表れです。

 

元号は誰が決めるのか?

そこまで天皇と関わりがあるならば、元号天皇が決めているのでしょうか?

答えは、天皇ではなく内閣が定めています。

 

1979年に制定された「元号法」には、「元号は、政令で定める」とあります。

政令とは政府の命令のことで、内閣が定めるものです。

1979年は既に昭和なので、

内閣によって定められた元号は今のところ「平成」のみになります。

 

平成の元号を発表したときは、当時の内閣官房長官だった小渕恵三氏が

「平成」と書かれたプレートを持っていましたよね。

 

ここまで、元号に関する疑問をまとめてみました。

元号というのは、伝統的かつ日本国民の心に染み付いているものだと思います。

しかし、現実的には元号を使用することによって以下のデメリットがあると考えます。

 

デメリット1:切り替えのコストが大きい

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数十年に一度といいつつも、元号が変わればシステムも変える必要があります。

官公庁や金融機関のシステムには元号が使用されているものが多く、

元号への対応するための改修が必要となります。

 

改修が遅れてしまうと、和暦と西暦との連携が上手くいかず、

特にお金が絡む部分ではシステム障害が起きる可能性があります。

 

また、困るのはIT業界だけではありません。

カレンダーや手帳を作るメーカーは、新元号を載せないという対応をするようですし、

元号が施行される5月1日を祝日とするかどうかが確定しないため、

「○○時点の内容です」と断りを入れざるを得ないようです。

やはり紙媒体は後から変更ができない分、対応が難しそうです。

 

デメリット2:計算の手間がかかる

日常的に和暦を使うとき、その年が何年前なのかを判別するために、

いちいち西暦に変換するか、和暦同士で計算しなければならない点で不便です。

 

例えば、昭和42年生まれの人が何歳なのかを考えるとき、

 ①昭和42年=1967年 2018年ー1967年=51歳

 ②昭和63年ー昭和42年=21年 21年+平成30年=51歳

と、どちらの方法にしても2段階計算する必要があるので、

初めから西暦に統一しておいた方が便利です。

 

デメリット3:数字だけで区別できない

1つの元号の期間が30年くらいだとすると、

同じ時点におよそ3つの元号生まれの人が存在することになります。

生年月日だけでなく「○○年に○○した」といったように言うときでも、

頭に必ず元号をつけなければ混同してしまいます。

 

3つか4つも使い分けるならば、数字だけの西暦の方が使いやすいのは明快です。

 

元号に纏わるイメージ

個人的に好きではない点を挙げると、元号ごとにイメージが付いてしまうことです。

「昭和」というと、「古い」というイメージが第一にありますし、

「平成」というと、「今」というイメージがあります。

 

すると、「昭和生まれ=古い」という考えが生まれてしまいます。

生まれた年は自分で変えることができないにも関わらず、

そういったイメージが勝手に付いてしまうのは嫌いな点です。

 

そろそろ元号制度は変わるかもしれない

昭和から平成に変わったときにどういった声があったかは分かりませんが、

元号が不要であるという声が挙がっている以上、

将来的に元号制度がなくなる可能性はあると思います。

 

1989年当時は現在ほどITが発達しておらず、インターネットは存在しませんでした。

しかし、ITの発達により、改元による社会の弊害が大きくなってしまったならば、

元号を使わなくなっていくのが時代の流れだと思います。

 

個人的には元号は不要だと思っていますが、

生年月日を記入する欄を「明・大・昭・平」から西暦に統一するなど、

利便性を考慮した様式にしつつも、

その時代の意味づけといった目的で、ひっそり元号を残しておいてはどうかと思いました。