なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

ACは惹かれ合う ~影を抱えた人間~

久々にアダルトチルドレン(AC)に関するお話です。

 

最近TwitterでもリアルでもACの方々と触れ合う機会が増え、

同じような生きづらさを感じていることに親近感を覚えます。

 

そこでふと思い出したのが、大学の研究室の先生のエピソードです。

「論文の書き方講座」で説明していることを私に指導してくださった先生です。

 

あるとき、先生の過去のエピソードを文書で読んだとき、

「自分と同じものを持っている」

という確信を抱きました。

 

今回はその「同じもの」が何なのか、

なぜAC的特徴を持った人同士が惹かれ合うのかについて語ります。

 

 

お互いを尊重し、惹かれ合う関係

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エピソードの紹介の前に、自分と先生の関係について前置きしておきます。

 

私が研究室に入ったのは大学3年生のときで、

今から遡ると4年半ぐらい前のことです。

 

大学生のときは研究のことで質問したり、

社会人になってからも仕事のことで相談したりするぐらい、

私はその先生のことを信頼しています。

 

と同時に、先生も私のことを信頼しているように思えます。

教えられたことを忠実にこなして課題を提出すると

「優秀ですね」と褒めてくださいましたし、

相談すると的確なアドバイスを与えていただけます。

 

私もそれなりに勉強して課題をこなしていたので、

えこひいきというと正しくないですが、

同じゼミの同級生よりも認められている気がしました。

 

先生のエピソード ~片割れの影~

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先生は私から見て人格者であり、

ゼミ生に対して勉強を教えるだけでなく、人生論を説くこともありました。

 

私が社会人になってから二度目の正月を迎えた頃、

先生の半生が書かれたPDFファイルが送られてきました。

 

素晴らしい文章なので引用したいですが、

無許可で転載するわけにいかないので要点だけまとめます。

  • 高校に入学した15の頃、母が癌で亡くなった。
  • 母が居なくなってから父は酒に溺れて暴れるようになった。
  • 子供でいるべき時に子供でいさせてくれなかった父に対して憤りを覚え、憤怒だけで塗り固められた感情が自身の影となって現れた。
  • 大学を卒業してすぐに就職しなかった。その理由は、片割れの影を抱えた心のまま、大勢の大人がいる組織で働く自信がなかったため。
  • 歪な心の均衡を保つため、片割れの影を他人から隠すために、何者にも動じずあらゆるものを薙ぎ倒す力を渇望した。
  • そうして進学した大学院は非人間的に扱う校風で、そういった環境に身を置くことで憤りを紛らわし、安心感を感じていた。
  • 同時に、他人の影の濃さを感じ取れるようになり、幼少期・思春期に何かを喪失した人に惹かれるようになった。
  • 教壇に立つことで、自身を守るために培ってきた能力が人の役に立つことに気づいた。

 

似たような影を持つ人間同士

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この話を読んで、何か自分と共通するものを先生は持っていたのだと気づきました。

私も片割れの影を持つ人間です。

そしてこのブログを読んでいる人もそうかもしれません。

 

私はその影のことを「生きづらさ」だと思っていましたが、

先生は「自身を脅かすものに対峙し、生き延びようとする力」

という表現を用いていました。

 

2つの考えを勘案すると、

影とは「生きづらさに抵抗する原動力」なのだと思います。

 

なので影は消すべきものではなく、

寄り添いながら生きていくものなんです。

 

なぜ影を持つ人間同士が惹かれるのか?

では、なぜ他人の影を感じ取り、惹かれ合うのでしょうか?

 

私は理由が2つあると思います。

①お互いが苦しみを理解できる

愛の溢れた家庭に生まれ、それぞれの歳相応の経験をしてきた人を見ると、

「この人に自分の苦しみを分かってもらえないんじゃないか」と思ってしまいます。

 

しかし、ACの人と対峙すると、自分の苦しみを分かってくれそうな気がしますし、

反対に相手の悩んでいるポイントも理解し共感することが出来ます。

 

そのように、お互いの胸に支えているものを共有する感覚

心地よいのではないでしょうか。

 

②他人を苦しみから救いたい

自分が苦しみから解放されたいと同時に、

苦しんでいる人を見ると手を差し伸ばしたくなります。

 

それは相手の苦しみを理解出来るからだけではなく、

相手を救うことで自分も救われると信じているからです。

 

影を持つからこそ分かち合える

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先にも述べたとおり、影は消すべきものではありません。

影があるからこそ人に共感し、苦しみも楽しみも分かち合えると思うからです。

 

私はこれからも、自分の影と向き合い寄り添いながら生きていくでしょう。