なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

「死にたい」は現状から逃げたいということ

死にたいと思うことは異常なのでしょうか?

 

高校までの健康診断ではありませんでしたが、

大学以降の健康診断では、心の健康状態も診断されます。

 

  • 気分が晴れず常に憂鬱だ
  • 死にたいと思うことがある
  • いつもより疲れやすい

などの質問が並んでいて、

これほぼ全部当てはまるじゃん!

とか言って本当のことに全部チェックを付けると、

健康相談のときに神妙な面持ちで心配されます。

 

私の友人が全部チェックを付けたら後日再検査になったと聞いて、

呼び出されるのが面倒なため嘘の申告をしたこともあります。

 

でも、

死にたい気持ちというのは現状から逃げ出したい気持ちの表れだと捉えているので、

別にそう考えるのは悪いことではないと思います。

 

今回は、死にたい気持ちを具体化し、その実体が何なのか考えていきます。

 

「死にたい」の真意を考える

どんなときに死にたいと思うか

具体的にどんな場面で死にたいと思うかを、私の例で挙げていきます。

希望を失ったとき

社会人として働き始めてしばらくすると、

「これが40年続くなんてつまらない人生だな」

と思いました。

日々の業務に追われ、

生活を維持するためだけに働き、

休んでいる間の娯楽で心を癒す。

それを繰り返すだけの人生に希望を見出せなくなりました。

 

生きている意味を見失い、人生の希望を失ったときに死ぬことを考えました。

 

失敗したとき(自己嫌悪に陥ったとき)

2番目は、何か自分の中で大きな失敗をしたときです。

「なんでこんなことしてしまったのだろう」

「こんな失敗をしてしまった自分は、なんて愚かなんだ」

「生きているのが恥ずかしい」

今になって振り返ると大した失敗ではないのですが、

その時点ではとんでもないことをしてしまったと思い、

自分を責めまくって自己嫌悪に陥ります。

 

悲しみに満ちているとき

希望を失う、失敗したことの結果の話にもなりますが、

ショックを受けて悲しみの雨に打たれているときは

「こんなに悲しい目に遭うのはなんと不幸なんだろう」

と考え、その悲しみから逃れるために死にたくなります。

 

3つの場面の共通点:現実から逃れたい

以上の3つのケースの共通点は、現実から逃れたいと思っていることです。

希望を失っているときは、希望が無い現実から離れて新たな希望を求める。

失敗したときは、現実の自分を消すことで無かったことにしたい。

悲しみに満ちているときは、その悲しみから一時的にでも逃れたい。

すべて、死によって現実の世界から離脱することを望んでいます。

 

図で表すとこんな感じです↓

f:id:death_or_agony:20180809154930p:plain

現実の世界という枠の外に行く方法で真っ先に思いつくのが死です。

なので、死にたいから「死にたい」と考えるのではなくて、

現実から逃れたいから「死にたい」と考えるんだと思います。

 

たまに「死にたいならさっさと死ね」と言うアホが居ますが、

「死にたい」の真意は「現実から逃れたい」なので、

本質をわきまえていない的外れな発言だと思います。

 

それでも私たちは生きている

今この文章を書いている私も、

死にたいと思いながらも結局生きています。

 

私が言いたかったのは、

様々な辛さを「死にたい」という言葉に集約するのはおかしくないですし、

それを頭の中で思う・口に出して生きていけるなら、それで良いということです。

 

あー死にたい。