なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

誕生日に流した涙

f:id:death_or_agony:20180801111136j:plain

子供の頃の誕生日

子供の頃、1年に一度自分の誕生日が巡ってくるのが楽しみでした。

毎年誕生日が近づいてくると、

「今年はどんなプレゼントをお願いしようか?」と胸を膨らませていました。

当時は、祝われることが嬉しいというよりも、

プレゼントをもらうことに喜びを感じていました。 

 

大人になってからの誕生日

しかし、大人になってから、

誕生日を家族に祝われる・祝うことに悲しみを感じるようになりました。

なぜなら、親に祝われる・祝うことを強制されるからです。

 

そもそもなぜ誕生日を祝うのかというと、

その人が産まれてきたことを祝福するためだと思います。

「産まれてきておめでとう。新しい歳も幸せでありますように。」

といった感じで。

 

その祝福には、相手のことを敬愛する気持ちが必要だと思いますし、

祝うならば相手を喜ばせるべきだと思います。

 

しかし、私は親と一緒に時間を過ごすのがとても嫌いであるため、

誕生日祝いの食事をするのが苦痛です。

 

さらに、私の親は自分の誕生日を祝ってもらえないと怒りますし、

私が頼んでいないにもかかわらず、勝手に誕生日を祝う計画を立て、

私の意思など関係なく参加させられます。

 

祝福する気持ちが私には一切ないのに、「誕生日おめでとう」と言うことを強制され、

苦しい時間を一緒に過ごすことを強制されるのです。

 

去年の誕生日 

昨年の私の誕生日にも、両親と私の3人で食事をしましたが、

微塵も役に立たずで退屈な話をして、

両親2人して私の劣っている部分を責め立てました。

もともと弱っていた心がズタズタにされ、終わった後に一人で悲しみの涙を流しました。

 

「なんで誕生日なのにこんな目に遭わなきゃいけないんだ。」

 

本来祝われて喜ぶ立場である私が、逆に嫌な気分にされてしまったことに対する怒りと、

そのような境遇に産まれてきたことを無念に思う気持ちで一杯になりました。

 

あるべき誕生日の姿

涙を流した誕生日を経験した結果、形式だけお祝いして満足するのではなく、

心から祝福できるような関係をさらに多く築こうと思いました。

 

今の私にとって、誕生日は嫌いな日です。

いつか自分の誕生日を好きになり、

同時に、誕生日を迎えた人を喜ばせるようになりたいです。