なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

親の扶養義務を無理に負う必要はない

今朝読んだ東洋経済で気になる記事があったのでシェアします。

テーマは「親を扶養する義務」についてです。

toyokeizai.net

 

今まで親に扶養されてきた身だったので、

逆に自分が扶養側に立つことは考えていませんでした。

 

しかし、私の両親も定年の年頃なので、

親を扶養することが目の前に迫ってきていると認識しています。

 

引用記事のサブタイトルに「「毒親」だからと放棄することはできない」と書いてあり、

扶養の義務から逃げることができず、追い詰められる気分になりましたが、

よくよく法律を解釈してみると大きな問題ではないことに気付きました。

 

今回は記事の内容の詳細を含めて、紹介していきます。

 

 

親の扶養は法律で義務付けられている?

まず、親の扶養は法津上の義務なのか?ということですが、

答えはYESです。

 

法的根拠は民法877条の第1項です↓

第877条
1. 直系血族及び兄弟姉妹は、互いに扶養をする義務がある。

ここで言っている「直系血族」とは、

血の繋がっている親・祖父母・子・孫などを指します。

なので、親子関係である以上、社会的に弱い立場の人間を扶養する義務があります。

 

具体的な扶養の義務とは?

では、そもそも扶養義務というのはどの程度なのでしょうか?

扶養の程度には以下の2種類があります。

民法の通説および判例で確立された考え方)

  • 生活保持義務
  • 生活扶助義務

参考:【扶養に関する民法の規定の種類と内容(程度)のまとめ】

 

生活保持義務

生活保持義務とは、扶養義務者と同程度の生活を保障する義務であり、

2つの義務の中で強いものです。

 

適用される関係は、親→子(未成年)と夫婦間です。

 

扶養義務者が文化的な最低限度の生活水準を維持できる限り、

扶養者が同じ生活水準となるまで援助しなければなりません。

 

生活扶助義務

一方で、生活扶助義務とは、扶養義務者に余裕があれば援助する義務です。

余裕がある・ないに関わらず援助しなければいけない生活保持義務と比べて

弱い義務です。

 

適用される関係は、成年の親子や兄弟などです。

今回私が問題としているのはこちらに該当します。

 

生活保持義務では文化的な最低限度の生活水準を満たすまで義務があるのに対し、

生活扶助義務では扶養義務者が社会的地位にふさわしい生活が成り立つ範囲に限定しているため、

あくまで「余裕の範囲で」援助すればいいのです。

 

自分を犠牲にしてまで扶養する必要はない

ここまで調べてみて、親を扶養しなければならない脅迫が離れていきました。

何も自分の生活を崩してまで、親を扶養する必要はないんです。

 

たとえ「扶養しろ」と言われたとしても、

自分が余裕だと思える範囲で援助するだけで、

経済的余裕がないのであれば援助の義務もありません。

 

ただし、「余裕の範囲で」と言われても、

どこまでが余裕なのか個人によって見解が異なると思います。

 

そのような場合は、当事者間(親子間)でどの程度援助するのかを話し合った上で、

それでもまとまらなかった場合は家庭裁判所の定めに従うそうです。

民法878条より)

 

ここまで述べてきた根拠がすべて民法であることから分かるとおり、

民法上の規定ということは、違反したら裁判に負けて民事責任を負うだけであり、

刑事責任を負うことはありません。

 

違反したからといって罰則はありませんし、警察に捕まることもありません。

 

もし毒親を扶養したくないのであれば、

「余裕がない」と主張して扶養義務が無いことにし、

それで話が纏まらず裁判所に訴えるところまで待って良いと思います。

(訴えられて負けるかどうかは別として)

 

まとめ

かなり冷ややかな意見となってしまいましたが、

世の中には私以外にも親と関係を持ちたくない人は沢山います。

 

過去のお笑い芸人の騒動から判断して、

「親を扶養するのは義務だ」と解釈している人が多いようですが、

子→親の扶養義務はあくまで余裕の範囲であると知っていれば、

義務感に駆られて養いたくもない親に苦しむことが少なくなるのではないでしょうか?

 

今回色々と調べてみて義務の軽さに安心しましたし、

より多くの人に知ってもらいたいと思い、この記事を書きました。

 

親の扶養をどうしよう?と悩んでいる方は参考にしてください。