なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

自分の居場所は他人の中に作る

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「自分の居場所なんて無いんだ」

と思ったことはありませんか?

自分の居場所なんてどこにもない

私も中学・高校生のとき友達がおらず、

家に居ても家族のことで居心地が悪かったので、

自分の居場所が無いと思っていました。

 

学校では形だけの友人関係。

家では形だけの家族関係。

人と心から繋がる経験をせずに大人になってしまいました。

 

大学生になってからは腹を割って話せる友人ができたのですが、

孤独を癒せるのは友人と一緒に居るときだけで、

ただ一緒に居ることで負の感情に蓋をしていました。

 

今でも人と疎遠になると、

「結局いつも独りじゃん」

と孤独の寂しさを味わうことがあります。

 

しかし、最近自分のブログを読んで下さっていることを直接耳にすると、

自分の居場所は他人の中に作れるんじゃないかと思います。

 

例えば、人によって時間は違いますが、

この記事を読むのに1分なり、3分なり時間がかかります。

 

そして、それは私のために時間を使ってくれているということで、

あなたの3分間の中に私が生きています。

 

読む人が10人になれば合計で30分間、

100人だったら5時間も他人の心の中に生きることになります。

 

居場所を失っていた私にとって、これはとても誇らしく、嬉しいことです。

 

生きている時間を増やす

自分の居場所が無いと思っていた少年時代は、

自分のリアルな時間=生きている時間

でした。

 

いや、むしろ

自分のリアルな時間>生きている時間≒0

だったから生きていることを実感していなかったのかもしれません。

 

リアルな時間というのは誰にでも等しく与えられる1日24時間のことで、

生きている時間というのは自分の存在が生かされている時間のことです。

 

これを

自分のリアルな時間+他人が自分に費やす時間=生きている時間

とすれば、生きている時間は増えます。

 

さらに言えば、亡くなってもなお作品を見られるアーティストや作家なんかは、

自分のリアルな時間が0になっても人の心の中に生き続けることになります。

 

そう考えるとコンテンツの力って素晴らしいですね。

 

居場所は自分で作ろう

こんな感じに、自分の居場所というのは自分が体験しているリアルな世界だけでなく、

他人に時間を使ってもらうことで居場所を作ることができます。

 

自分が消費する時間から他人が消費する時間に焦点をあてると、

「自分の居場所」の捉え方が変わります。

 

孤独を感じたときはそのように視野を変えてみてはどうでしょう?