なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

自分史 ~私の生い立ち~

このブログで日々思っていることは書いていますが、

よくよく考えてみると自分の生い立ちについて書いたことなかったなと思ったので、

今回は私の生い立ちについてまとめたいと思います。

題して「自分史」です。

 

平和に見えた幼少期

私は今からおよそ25年前、東京の裕福な家庭の第1子として生まれました。

当時は私とその両親・祖母の4人暮らしで、大人に囲まれて育ちました。

自分以外が全員大人で、家族の会話は「大人の会話」だったので、

なかなか会話に入ることができず、疎外感を感じていました。

ゆえに今でも人の会話に入り込むのは苦手で、常に聞き手となってしまいます。

 

そんな私は元々気弱な性格で、怖いものや痛いものが苦手ですぐに泣いていました。

当時怖かったのは、

  • 注射
  • 水泳の時の水
  • 大型犬(吠えられた)
  • 大きな音・不気味な動きをするオモチャ
  • 気が強くて体が大きいクラスメート

などです。今でも意外とビビリですよ。

 

一方で負けず嫌いなところもあり、

幼稚園の授業参観で工作をしたときに

工作用紙で作った自分の物に書きたかったカタカナが書けず、

悔しくて怒って泣いたことがありました。

 

母親は私に対して「○○しなさい」とうるさく言うタイプで、

父親は私を甘やかすタイプでしたが、

休みの日に一緒に遊んでくれるため父親の方が好きでした。

 

しかし、実態は過干渉・過保護であり、

私がやると時間がかかるなどの理由で

できないことは親が代わりにやってしまうため、

同い年の子ができることができないことがありました。

 

同時に自分で困難を乗り越えることもできず、

やる前から諦める癖がついてしまいました。

 

小学校に入ると自然と友達は出来ましたが、

自己中心的で他人の気持ちを考えるのが苦手でした。

 

あるとき友達の筆箱の蓋(パカパカするやつ)が好きで遊んでいたら壊してしまい、

その友達を泣かせてしまったことがあります。

友達が嫌がるのを無視して自分が楽しむためにやっていたので、

泣かれたとき初めて「しまった・・・」と罪悪感を感じました。

相手が泣くか怒るまでいかないと、人の気持ちを優先することが出来ませんでした。

 

勉強好きから勉強嫌いへ

親の意向で中学受験することとなり、小学校低学年から塾に通い始めました。

学校では初めから勉強ができたわけではありませんでしたが、

新しい知識を取り入れるのが楽しく、どんどん勉強が出来るようになりました。

 

小学4年生のときには最難関の中学を受験する子たちと一緒のクラスになるぐらい

成績が良く、塾で出される多くの宿題を仕事感覚でこなしていました。

 

しかし、小学5年生になってから上手くいかなくなりました。

原因は、論理的思考力が弱かったからだと思います。

小学5年生になると暗記主体から論理的思考を必要とする問題が増え、

暗記力を武器にしていた自分は算数と国語の成績が下がってしまいました。

 

成績が下がるとその教科の先生にも親にも怒られたので、

勉強するのが嫌いになり、さらに成績は下がりました。

 

期待を背負ったヒーロータイプ

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ここまでの話で分かるかもしれませんが、

子供の頃はアダルトチルドレンヒーロータイプでした。

 

ヒーロータイプは一見模範的な子供に見えますが、

頑張りすぎてしまうところや、

一度挫折すると気持ちがポキっと折れてしまう特徴があります。

 

初めのうちは親の期待を背負って勉強をしていましたが、

上手くいかなくなると勉強に対するモチベーションが上がらなくなりました。

 

ここから、成績だけでなく学校での素行も悪くなります。

 

優等生なのに問題児

家に帰っても塾に行っても勉強だらけだったので、

学校で悪いことをして楽しむようになりました。

 

具体的にどんなことをしたかはこちらの記事に書いています。

death-or-agony.hateblo.jp

 

成績が悪くなったとしてもそれはテキる集団の中で落ちぶれただけであり、

学校ではまだトップの成績でした。

 

なので学校の授業はつまらないものでしたし、

何かつまらない日常に楽しみを生み出したくて、

イタズラで非日常を味わっていました。

 

ロック少年になった中学・高校時代

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勉強が嫌いになって成績が悪くなったものの、

少しレベルを落として志望していた中学に入学することができました。

 

しかし、ここでまた壁に当たります。

小学生の頃は悪さをする仲間と一緒に居たため、

お坊ちゃまと一緒に居ても気が合わなく、クラスで孤立しました。

 

活発なクラスメートも居ましたが、

元々内気で自己中な私は仲良くすることができず、

中学に入って出来た友達には嫌われました。

 

また、小学生のうちは「勉強ができること」アイデンティティーだったのですが、

中学では成績が下の方だったので、その特徴を失いました。

 

しかし、中1でラジオやYouTubeをきっかけに音楽が好きになり、

中3でB'zを好きになったのをきっかけにロックに目覚めます。

初めて聴いたときは普段味わうことのない高揚感を感じ、一気にハマりました。

 

その後は洋楽やV系を聴くようになり、

高2からはヘビィ・メタルを聴くようになります。

 

この音楽の趣味は今でも変わっておらず、死ぬまでロックであり続けると思います。

 

家を出るための受験勉強

高校1年生になると、大学受験を視野に入れた文理選択をしなければなりませんでした。

私の親は

理系=専門知識が身につく=就職に強い

文系=遊んでいるだけ=営業にしかなれない

といった固定概念をもっているようで、

勉強嫌いな私は何も考えず、親の言いなりで理系に進みます。

 

高2になると本格的にカリキュラムが分かれるのですが、

元々社会科しか興味がなかった私は、理系の進路に自分の将来を見出すことが出来ず、

かつ理科が全く出来なかったので、文系に進む決意をします。

 

当然親に反対され、理科が出来ないことを理由に文系に行くのを非難されましたが、

担任を含めて説得しました。

 

しかし、勉強が嫌いだった私は特に大学にこだわらず、

大学進学をきっかけに実家を出ることをモチベーションにしていました。

 

偏差値が高い大学のことを考えると

「自分には無理だ」

と決め付けてしまい、結局自分に手の届くレベルの大学に進学します。

 

光り輝いた大学生時代

晴れて一人暮らしを始め、家事・お金の管理・バイト・勉強をすべて自分でやるようになり、

ようやく親から離れることができたことが嬉しかったです。

一人暮らしが大変だと思ったことはありません。

 

また、高校生までとは違って友達ができ、

しょっちゅう友達を家に招いたり、泊まりに行ったりしました。

週末は一緒に飲み明かすのが当たり前で、

出身も歳も違う人の人生に触れるのが楽しみでした。

 

勉強の面では自分の好きな分野を見つけることができ、

研究することの楽しさに気付きました。

 

ようやく楽しい時間を過ごしていましたが、

今までの心の空虚を埋めるために遊ぶばかりで、

社会人になることは嫌なこととしか捉えていませんでした。

 

社会人となり適応障害

就職活動においても得意の逃げ癖を発揮し、

楽に内定を取れる会社を選びました。

 

そして、就活よりもやりたいことがあったので、

早々に内定を取りバイトを始めます。

 

バイトでは個人的に成功したと思っているのですが、

劣悪な職場だったので社員にはならず、

内定を取った会社に就職します。

 

就職した初め、「学校みたいだな」と思いました。

毎日同じ時間に集まり、研修で「こうしましょう」と教えられ、

ルールを守ることを強要されることに違和感を感じました。

 

会社の同期の雰囲気にも馴染めず、

実際に業務が始まると自分の苦手なことばかりで、

仕事も会社も嫌いになりました。

 

それを我慢した結果、社会人2年目に適応障害うつ状態になります。

このときに自分を見つめ直し、

ようやくアダルトチルドレン(AC)であることに気付きました。

 

まとめ

長くなりましたが、これが私の今までの人生です。

自己肯定感が低く逃げ癖があるのも、

好奇心が旺盛なのも昔から変わってないなと思いました。

 

ACの克服には内面の自分を表現することが大事だと思っていて、

これからもブログやTwitterで自分が考えていることを発信していきます。