なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

私が不登校になればよかったと思う理由

私は中学生と高校生のとき、

学校に行きたくない

と思いつつ嫌々学校に通っていました。

 

社会人になってから、この「学校に行きたくない」という感情が

「会社に行きたくない」感情に似てるのをヒシヒシと感じています。

 

学校が嫌いだったあの頃を振り返って、

不登校になっておいた方が良かったんじゃないか

と今では少し後悔しています。

 

一般的に不登校は良くないことと認識されていますが、

なぜ、不登校になった方がよかったと考えているのでしょうか?

 

目的がなかった中学受験

私は小学6年生のときに中学受験をして、中高一貫校に入学しました。

遊びたくても遊べなかった私は、

親から「受験が終わったら遊べばいいじゃない」と度々言われたため、

受験が終わったら勉強しなくて良いと思っていました。

受験が終わったらすべてが幸せになる

そう自分に言い聞かせて、やりたくない勉強をこなしました。

 

受験をしたいと言い出したのは私ではなく母親です。

自分の意志ではなかったので、なぜ自分が受験をするのか分からず、

ただ漠然と目の前の勉強をやり過ごしていました。

 

結果、第一志望の学校に合格することができたのですが、

受験が終わった時点で、勉強する目的と意味を見失いました。

 

仲間はずれ、友達ができない

以前記事に書いたとおり、私は小学生のとき問題児でした。

それは退屈な生活に楽しみをもたらすためだったのですが、

一緒にバカなイタズラをするような友達が好きでした。

 

しかし、入学した中学校には不良など居ません。

周りが優等生のような人間ばかりで、悪さをする楽しみがなくなりました。

 

学年の初めは自分の近くの席の人たちと仲良くなりましたが、

メンヘラが爆発していた私は友達にウザい絡みばかりしてしまい、

仲間はずれにされてしまいました。

 

この学校には仲良くなれる人がいないのかな

と、悲観的になり、次第に友達を作ろうとしなくなりました。

 

不登校にならなかった理由

学校に行く目的を見失い、楽しみも無かった私は、

学校に行きたくない

という感情を抱き始めました。

 

しかし、親や学校から怒られるのが怖く、

登校拒否したりサボったりすることは出来ませんでした。

 

学校は行きたくなくても行かなきゃいけない

という脅迫観念がありましたし、

無断欠席したら当然学校から怒られることは明白でした。

 

不登校になればよかったと思う理由

怒られることに対する恐怖から嫌々学校に行っていたわけですが、

今では、不登校になっておけばよかったと思っています。

 

なぜなら、社会に合わせられないことにもっと早く気付くことで、

社会に合わせられないなりの道を歩むことが出来たかもしれないからです。

 

社会人になってから気付いても、

教育者が身の回りにいないので、どうすればいいか自分で考えなければなりませんし、

生活を成り立たせることが最低条件になります。

 

仕事は休めば給料が貰えませんが、学校は休んでも親が生活を保障してくれます。

そういった環境ならば、

社会に無理に合わせるのではなく、

自分が主体的にやりたいことを見つけるのが先決だと思います。

 

まとめ

私が中学受験を経て学校に行く目的を失い、不登校になりたかった気持ちをお話しましたが、

それに加えて、

不登校は悪いことではないと昔の自分に伝えたいです。

 

「世間的に正しく生きる」のではなく、

「自分らしく生きる」ことが学校に行くこと以上に重要であると思いました。