なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

お土産を強制する空気に困っています

私はお土産文化が嫌いになりました。

学生時代は特に嫌いな意識はなかったのですが、

社会人になってお土産を職場の人に配るのを見て、考えが変わりました。

 

今回は、私が職場でのお土産を嫌う理由について語りたいと思います。

 

職場でお土産を配る意義を考え直してみる

 

お土産とsouveniorの違い

まずは、お土産の概念を英語のsouveniorと比較して考えていきます。

 

よく貰うお土産で、じゃがポックルや紅いもタルト、ちんすこうなどがありますが、

これらは全て他人にあげることを想定して小分けされた食べ物です。

 

一方で、海外でのお土産というのは、自分の旅を思い出すために買うもののようで、

ポストカードやキーホルダーなど食べ物以外が一般的なようです。

 

お土産を英語に訳すとsouveniorと言いますが、全然目的が違うのですね。

お土産:他人のために買うもの
souvenior:自分のために買うもの

 

お土産はプレゼント

では、日本におけるお土産は英語の概念で何に該当するでしょうか?

私は「プレゼント」だと思います。

旅に行っていない相手のことを想い、相手が欲しいと思える物を買う。

お土産を手渡し、「現地でこんなことがあったんだよ」と土産話を語る。

こういった行為は、プレゼントをあげることと同じだと思います。

 

お土産に関して最もムカついた話

夏の終わり頃、会社で仕事をしているとき、当時の担当部長の席に呼ばれました。

何の用事かと思うと、その人が買ってきたお土産を周辺全員に配るよう命令されました。

そこで喧嘩してもしょうがないと諦めてお土産を配りましたが、

自分が買ってきたなら責任もって自分で配れよ

と思いましたし、

一緒に旅行に行ったわけでもない私が配っても、お土産の意義がないように思えます。

 

職場で配るお土産はプレゼント?

このような経験があったため、

旅行してきたからとりあえず同じ課の全員に配る

といった思考停止の習慣に嫌悪感を抱くようになりました。

 

「とりあえず配る」ということは、別に相手が誰であっても構わないし、

相手のことを想って買ったプレゼントではないと思います。

 

休みを取ったことの埋め合わせでお土産を買う人もいると思いますが、

他の人が休んだ分をカバーするのはお互い様のことなので、

それを埋め合わせる必要はないと思います。

 

どうせならあげない方がいいのでは?

相手を想ったプレゼントでもなければ、

「周りがやっているから自分もやる」といったネガティブな動機であげるくらいだったら、

もう職場でお土産配るの辞めればいいと思います。

 

私は今の職場ではお土産を配ることはしませんが、

代わりに親しい人に対しては1000~2000円ほどのプレゼントを買うようにしています。

どうせあげるんだったら、喜んでもらえる物の方がいいじゃないですか。