なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

「先延ばし方程式」で考える先延ばし癖

先日、「ばなうた」というサークルの活動に初めて参加してきました。

東京と神奈川でトーク会やボードゲーム会を行なっている団体らしく、

自分と同じACの方もチラホラいらっしゃいました。

 

そこで一緒になった方から相談されたのが、先延ばし癖についてです。

 

皆さんは先延ばし癖、ありますか?

私はやりたくないと思うことをやらずに先延ばす癖があります。

「やらなきゃいけない」と思っていても、

どうも気が向かないと動けないんですよねぇ・・・。

 

今回は先延ばし癖について、「先延ばし方程式」という理論をもとに考えます。

 

  • 先延ばし癖の定義
  • 問題を紐解く「先延ばし方程式」
  • 先延ばした事例に当てはめてみる
  • どうすれば先延ばし癖を直せるのか?
    • 先延ばししない場面を限定する
    • 優先順位を付けずにすぐにやる
  • まとめ

 

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成人式にあった奇跡の話

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1月14日は成人の日でしたね。

私が成人したのはもう5年前のことになります。

 

成人式というと、忘れられない出来事があります。

今日の記事は生きづらさでも批判でもなく、単なる思い出話です。

 

  • 知り合いの居ない成人式
  • 暇そうな人に声をかけてみた
  • それでも馴染めない成人式
  • まさかの奇跡
  • まとめ

 

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学校の感想文に何の意味があるのか?

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小学校の時、読書感想文や運動会の感想文などを書かされましたよね。

あれって一体何だったんでしょう?

 

  • なぜ日本人は論理的な文章を書けないのか?
    • 文化的要因
    • 言語構造の要因
    • 国語教育の要因
  • 小学校の感想文の問題点
    • 模範的な感想を強要させられる
  • なぜ模範的な感想を求められるのか?
  • 意見文を書かせてしまえばいい
  • まとめ

 

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女性は料理が出来て当たり前? 「自炊が偉い」と言われることに対する違和感

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よく初対面、もしくは同じ所属で関わりがなかった人からこんなことを言われます。

 

相手「一人暮らししてるの?」

だ「はい、大学生のときからしてますよ。」

相手「普段自炊してるの?」

だ「家に居るときはほとんどそうですね。」

相手「へぇ、自炊してるんだ。偉いね。」

 

会社の人との飲み会やランチでこんな会話が繰り広げられるのですが、

「自炊するのが偉い」と言われるのに違和感があります。

 

全然嫌な気分にはなりませんが、

東洋経済の記事を読んでいてふと気になることがありました。

  • 「自炊するのが偉い」と言われるのは男性だから?
  • 実際に調べてみた
    • 結果
  • なぜ女性でも「偉い」と言われるのか?
  • 自分で食べるものを作るのが当たり前
  • まとめ

 

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親の扶養義務を無理に負う必要はない

今朝読んだ東洋経済で気になる記事があったのでシェアします。

テーマは「親を扶養する義務」についてです。

toyokeizai.net

 

今まで親に扶養されてきた身だったので、

逆に自分が扶養側に立つことは考えていませんでした。

 

しかし、私の両親も定年の年頃なので、

親を扶養することが目の前に迫ってきていると認識しています。

 

引用記事のサブタイトルに「「毒親」だからと放棄することはできない」と書いてあり、

扶養の義務から逃げることができず、追い詰められる気分になりましたが、

よくよく法律を解釈してみると大きな問題ではないことに気付きました。

 

今回は記事の内容の詳細を含めて、紹介していきます。

 

  • 親の扶養は法律で義務付けられている?
  • 具体的な扶養の義務とは?
    • 生活保持義務
    • 生活扶助義務
  • 自分を犠牲にしてまで扶養する必要はない
  • まとめ

 

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年賀状を出さなきゃいけない同調圧力が嫌い

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新年あけましておめでとうございます。

あっという間に2018年が終わって正月になってしまいましたね。

今年は実家に帰らず家に引きこもって終わりそうです。

 

さて、元日の夜にポストを見てみたら、年賀状が何枚か送られていました。

私の知人には年賀状を送るような人があまりいないので、

保険会社だとか歯医者からしか届きませんでした。

 

年賀状を見て思いついたのが、

「年賀状を出さなきゃいけない」という同調圧力のことです。

 

「年賀状を書け」と子供のときに親に言われたり、

バイトで無給で書かされたりしたことがあったので、

私は年賀状文化が嫌いです。

 

職場のバレンタインデーぐらい嫌いです。

 

今回は年賀状が嫌いになったきっかけについて語ります。

 

年賀状文化はまだ死んでいない

みなさんは今でも年賀状を出しますか??

自分は高校生の頃までは学校の友達と送りあっていましたが、

大学生になってから実物の年賀状は出さなくなりました。

 

「実物の」と言ったのは、今だとスマホから作成・印刷・配達を外注できるアプリ(スマホで年賀状)があるので、紙で買わずとも年賀状を送れるからです。

 

それでも1人の友達が送ってきたから返すというだけで、

自分から送ることはなくなりました。

 

身の周りにも年賀状を送る人は少なくなり、年賀状はオワコンだと思っています。

 

しかし、世の中にはまだまだ莫大な量の年賀状が飛び交っています。

 

年末年始に郵便局でバイトをしたことがあるのですが、

ホントにオワコンか?と疑うほど大量にハガキがあります。

 

どれぐらいの量かというと、両手で持つ箱にハガキを敷き詰め、

それを自分の背の高さぐらいに積んだ山が10個ぐらい1晩に来ます。

 

あんまりイメージ沸かないかもしれないですが、とにかく大量です。

ちなみに全国では2018年は24億枚を発行したそうで、

2003年をピークに年々減少しているようです。

参考:年賀葉書の発行枚数などをグラフ化してみる(最新) - ガベージニュース

 

全人口が1億2000万人とすると1人あたり20枚も出している計算になることから、

いかに年賀状文化がまだメジャーであるかが分かると思います。

 

年賀状嫌いになったきっかけ

冒頭で述べたとおり、私が年賀状を嫌いになったきっかけは2つあります。

 

子供のとき親に言われたこと

1つめは、年賀状を返すように親に言われたことです。

 

私の家族(親や祖母)は自分以外みな年賀状を数百枚単位で書いていました。

当時は親も定職に就いていたこともあり、昔からの知人や仕事関係の人まで、

様々な人に向けて年賀状を出していました。

 

なので、年賀状を出すのは当たり前であり、

送られてきた年賀状を返さないと怒られることもありました。

 

当時はその言葉を信じ込んで、返そうと思わない人にも嫌々返していましたが、

今ではLINEやSNSでやりとりするのが当たり前であり、

そのような自分の「当たり前」を押し付けてきたことに腹が立ちます。

 

バイトで書かされたこと

2つ目は、塾のバイトで書かされたことです。

 

おそらく上層部からの命令だと思われますが、

複数の講師が寄せ書きのようにメッセージを書いて、

全生徒に送る習慣がありました。

 

しかも、業務であるにも関わらず時給が貰えないというクソっぷり。

 

書きたくもない年賀状を書いて、

貰ってもそこまで嬉しくないようなビジネスライクな年賀状を送って、

誰が得するの?って感じです。

 

今の自分だったら全部断りますね。

 

年賀状送らないことで切れる縁は切れていい

ということで、「年賀状を返さなきゃ失礼だ」

「毎年やっているからやらなきゃいけない」

という同調圧力が嫌なので、年賀状を送るのは辞めました。

 

貰ってもLINEなりで返すと思います。

 

いや、LINEすら面倒なので、

前年のお礼を言いたい人にしか送らないかもしれないですね。

 

そもそも、年賀状を送る目的は人間関係の確認行為だと思っているので、

年賀状でしか繋がっていないような希薄な関係に固執する必要なんてないと思います。

 

まとめ

以上、年賀状が嫌いになったエピソードと同調圧力に対する憤怒でした。

バレンタンデーにしろお中元にしろ、面倒で消耗する習慣って色々ありますよね。

 

冷たい人間って思われるかもしれませんが、

ネットでお世話になっている人たちにもブログやTwitterで発信しているわけですし、

それぐらいライトな方が好きです。

 

こんな感じは相変わらずなので2019年もよろしくお願いします。

承認欲求とどう向き合うか ~良い自慢と悪い自慢~

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人に認められたい。

 

その一心が原動力となり、SNSで自己アピール投稿をする人も少なくないのではないでしょうか?

最近は露骨なアピールを避けて間接的に自慢する傾向があるそうです。

toyokeizai.net

 

間接的な自慢とはどういうことかというと、

見た人が「自慢している」と思わないよう間接的に自慢することです。

 

友達とのパーティの様子などや、高価な食事やブランド物の写真を投稿すると、

見ている人にはいかにも自慢しているように見えてしまいます。

 

そういった直接的なアピールではなく、

  • さりげなく高級なものを写す
  • 恋人の親とデートしている様子を上げる
  • 複数人でシミラールック

といった、一見自慢ではないけれども仲の良さやお金を持っていることをアピールするのが間接自慢です。

 

いずれにしても「他人からどう見られているか」を気にしており、

承認欲求が強い人が多いんだなぁという印象です。

 

このさりげなく自慢することにも嫌悪感を抱く人がいるようで、

芸能人がブランド物をさりげなく写した写真を投稿して批判されることも。

 

SNSでステータスを自慢する人の特徴

じゃあなぜそこまで自慢したがるのか?ということですが、

自信がないため実際以上に自分を誇示し、賞賛されたいのだと思います。

 

この特徴、自分にバリバリ当てはまります。

成功している人間は自慢しなくても周りの人間に賞賛されます。

 

しかし、私のように承認されないで育った人間は、

「人に認められたい」「かまってほしい」という感情が強く、

結果としてちょっとしたことを自慢することで自尊心を保とうとします。

 

なのでSNSで自慢する人の気持ちには共感できるんですが、

少し腑に落ちていないところがあります。

 

「良い自慢」と「悪い自慢」

SNSでよく見かける「悪い自慢」

私が腑に落ちていないのは、

SNSで自慢するために消費活動するのってどうなのよ?

ということです。

 

高価な物を買ってSNSで自慢する行為は、

いわばお金を他者の承認に変える行為だと捉えています。

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では、消費活動をもとにした承認は長続きするものでしょうか?

 

私はそれだけでは長期にわたる深い信頼関係は築けないと思います。

あくまで一時的に賞賛されるだけで、

その投稿が流れた瞬間しか価値を生み出さないからです。

 

私はこれを「悪い自慢」と呼んでいます。

 

「悪い自慢」の虜になってしまった人は、

SNSにアップするためにイケている料理を食べたり、リゾートに行ったり、

ブランド物を買ったりします。

 

そして「○○を買った」「今○○でエンジョイしてます」

といった事実報告をSNSでします。

 

消費活動を切り売りしているので、それをやり続けなければ承認されなくなってしまいます。

 

不快に思われない「良い自慢」

一方で、「良い自慢」もあると思います。

私の考える「良い自慢」とは、将来的なリターンを期待した生産活動の自慢です。

 

例えばアーティストが「今日は○○人も来てくださってありがとうございました」

と投稿したとしましょう。

 

「そんなに多くの人が集まるなんてすごい!」と賞賛されるまでは「悪い自慢」と同じプロセスですが、

「人が集まるほどのコンテンツを作れる魅力的なアーティストなんだ」と思われて、

将来的な来客が増えることが見込まれます。

 

このように、生産活動の自慢というのは見た人にとって不快なものになりずらく、

自分の将来的なリターンとして返ってくるメリットもあります。

 

どうすれば承認欲求を満たせるか

「悪い自慢」をしたくなる気持ちはよく分かりますが、

承認が過ぎ去ったあとの虚しさが嫌なので、

特に自慢するつもりはないですね。

 

あとは、承認欲求が強すぎるがゆえに、

その程度では満たされないのもあると思います。

 

だいたい、承認を得るためのコスパが悪い。

 

自分が承認欲求を満たされたのは、

  • 作ったものを褒められたとき
  • 数字を出したとき

です。前者は他者による承認ですが、後者は自分自身を認めるケースです。

別にセレブ気取りをしなくても、承認欲求を満たせるのです。

 

まとめ

世の中には承認欲求の虜になっている人が自分を含めて多く居ますが、

その満たし方は様々であり、中でも消費活動によって満たす方法に対しては、

否定的なスタンスです。

 

自身の承認欲求の満たし方をいま一度見つめてみてはいかがでしょうか?