なぜこの世界は生きづらいのか?

アダルトチルドレンとして 世の中で生きることの辛さや、 思うことを綴ります。

承認欲求とどう向き合うか ~良い自慢と悪い自慢~

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人に認められたい。

 

その一心が原動力となり、SNSで自己アピール投稿をする人も少なくないのではないでしょうか?

最近は露骨なアピールを避けて間接的に自慢する傾向があるそうです。

toyokeizai.net

 

間接的な自慢とはどういうことかというと、

見た人が「自慢している」と思わないよう間接的に自慢することです。

 

友達とのパーティの様子などや、高価な食事やブランド物の写真を投稿すると、

見ている人にはいかにも自慢しているように見えてしまいます。

 

そういった直接的なアピールではなく、

  • さりげなく高級なものを写す
  • 恋人の親とデートしている様子を上げる
  • 複数人でシミラールック

といった、一見自慢ではないけれども仲の良さやお金を持っていることをアピールするのが間接自慢です。

 

いずれにしても「他人からどう見られているか」を気にしており、

承認欲求が強い人が多いんだなぁという印象です。

 

このさりげなく自慢することにも嫌悪感を抱く人がいるようで、

芸能人がブランド物をさりげなく写した写真を投稿して批判されることも。

 

SNSでステータスを自慢する人の特徴

じゃあなぜそこまで自慢したがるのか?ということですが、

自信がないため実際以上に自分を誇示し、賞賛されたいのだと思います。

 

この特徴、自分にバリバリ当てはまります。

成功している人間は自慢しなくても周りの人間に賞賛されます。

 

しかし、私のように承認されないで育った人間は、

「人に認められたい」「かまってほしい」という感情が強く、

結果としてちょっとしたことを自慢することで自尊心を保とうとします。

 

なのでSNSで自慢する人の気持ちには共感できるんですが、

少し腑に落ちていないところがあります。

 

「良い自慢」と「悪い自慢」

SNSでよく見かける「悪い自慢」

私が腑に落ちていないのは、

SNSで自慢するために消費活動するのってどうなのよ?

ということです。

 

高価な物を買ってSNSで自慢する行為は、

いわばお金を他者の承認に変える行為だと捉えています。

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では、消費活動をもとにした承認は長続きするものでしょうか?

 

私はそれだけでは長期にわたる深い信頼関係は築けないと思います。

あくまで一時的に賞賛されるだけで、

その投稿が流れた瞬間しか価値を生み出さないからです。

 

私はこれを「悪い自慢」と呼んでいます。

 

「悪い自慢」の虜になってしまった人は、

SNSにアップするためにイケている料理を食べたり、リゾートに行ったり、

ブランド物を買ったりします。

 

そして「○○を買った」「今○○でエンジョイしてます」

といった事実報告をSNSでします。

 

消費活動を切り売りしているので、それをやり続けなければ承認されなくなってしまいます。

 

不快に思われない「良い自慢」

一方で、「良い自慢」もあると思います。

私の考える「良い自慢」とは、将来的なリターンを期待した生産活動の自慢です。

 

例えばアーティストが「今日は○○人も来てくださってありがとうございました」

と投稿したとしましょう。

 

「そんなに多くの人が集まるなんてすごい!」と賞賛されるまでは「悪い自慢」と同じプロセスですが、

「人が集まるほどのコンテンツを作れる魅力的なアーティストなんだ」と思われて、

将来的な来客が増えることが見込まれます。

 

このように、生産活動の自慢というのは見た人にとって不快なものになりずらく、

自分の将来的なリターンとして返ってくるメリットもあります。

 

どうすれば承認欲求を満たせるか

「悪い自慢」をしたくなる気持ちはよく分かりますが、

承認が過ぎ去ったあとの虚しさが嫌なので、

特に自慢するつもりはないですね。

 

あとは、承認欲求が強すぎるがゆえに、

その程度では満たされないのもあると思います。

 

だいたい、承認を得るためのコスパが悪い。

 

自分が承認欲求を満たされたのは、

  • 作ったものを褒められたとき
  • 数字を出したとき

です。前者は他者による承認ですが、後者は自分自身を認めるケースです。

別にセレブ気取りをしなくても、承認欲求を満たせるのです。

 

まとめ

世の中には承認欲求の虜になっている人が自分を含めて多く居ますが、

その満たし方は様々であり、中でも消費活動によって満たす方法に対しては、

否定的なスタンスです。

 

自身の承認欲求の満たし方をいま一度見つめてみてはいかがでしょうか?

誕生日を迎えたのでこの1年を振り返る

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2018年12月26日の今日、25歳になりました。

今月「誕生日おめでとう」と言ってくれた方、ありがとうございました!

 

例の親と会う件で毎年ブルーな気持ちになっていましたが、

今年は涙を流さずに済みました。

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誕生日といっても就職してからは普段どおり働いているので、

特別な日という感覚はありません。

 

が、せっかくなので1年の締めくくりの意味も込めて、

24歳だった1年を振り返っていこうと思います。

  • 休職中ロシアで復活(12~1月)
  • 職場に復帰(1~4月)
  • 初めての異動(4月)
  • ブログを始める(7月)
  • ネットからリアルへ(9月)
  • ママチャリで房総半島一周(9月)
  • やりたくない仕事に巻き込まれる(10月)
  • 人間関係が広がる(11~12月)
  • まとめ

 

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哺乳瓶バーを事業者目線で考える

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以前書いた哺乳瓶のレビューが一部でウケたようで、

ACバーなどで一緒のぱわーさんから

「哺乳瓶バーをやったらどうか?」

という声をいただきました。

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今回は事業者目線で、事業として成り立つものなのかを考えていきます。

いたって真面目です。

 

  • 哺乳瓶バーとはどんなバーか?
  • 本当にあるのか調べてみた
  • 事業として成り立たないと考える理由
    • 理由1 模倣可能性が高すぎる
    • 付加価値を生むためには?
    • 理由2 哺乳瓶の造りがボトルネックとなっている
  • ではどうするか?

 

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会社の同期に嫌われた話

私は会社の同期のほとんどから嫌われています。

同期は全員で40人ちょっと居て、

  • 仕事以外で会うほど仲の良い人は皆無
  • オフィスで偶然すれ違ったら挨拶するレベルの人が10人ぐらい
  • 出くわしてもシカトする人が10人ぐらい
  • その他は別拠点・別部署のため会わない

という内訳になっています。

 

今年の春ぐらいまではそんなに嫌われていなかったのですが、

とある事件で一気に嫌われました。

 

その事件のエピソードと自分の気持ちを語ります。

 

  • 理不尽な親睦団体
  • 同期は老害
  • キレて仕事を断り嫌われる
  • どうでもいい人間に嫌われてるのはどうでもいい
    • 嫌われる勇気があった
  • まとめ

 

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誕生日祝いを断ったその後 ~親を見たときの自己嫌悪~

誕生日を親に祝われるのが嫌だという記事をこの間書きました。

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この話があったのは先月の中頃で、

父親から受けた誘いをその場で断ったら文句を言われ続けましたが、

数日後にはメールで「無しにしよう」と認めてもらいました。

 

しかし、今月の中頃になってから進展があったので、

親を見たときの自己嫌悪の気持ちと合わせて話していきます。

 

  • 再度父親から誘われる
  • 今年はもう会わない
  • 親の私に対する依存
  • 親を見たときの自己嫌悪
  • まとめ

 

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親から逃げるための大学受験

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最近AbemaTVでホリエモンの東大受験企画を見てて、

自分が大学受験した時のことを懐かしく思いました。

 

前回の中学受験に引き続き、今回は大学受験のことを振り返ってみます。

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  • 親と周りの目を気にして決めた進路
  • これじゃダメだ
  • 理系から文系へ
  • 躍進
  • リズムが崩れる
  • 親から逃げることしか考えてなかった
  • センター試験から国立二次まで
  • まとめ

 

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誕生日祝いを強制された話

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去年の誕生日、正確には誕生日付近の休日に

両親から誕生日祝いをされて心が痛んだことがありました。

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今年もまたそんな冷たい季節がやってきました。

例年通り親から誕生日を祝う会を設定されそうになり、

居たたまれない気持ちになったことを綴ります。

 

私が親と過ごす時間をどう感じているか

そもそも私がなぜ親と過ごす時間を苦痛に感じているかということですが、

小学生レベルの低レベルな会話を繰り広げた挙句、

私を貶(けな)して自己肯定感を奪い去っていくからです。

 

母親と父親のどちらか一方ならばマシな方で、

両親とも揃うと2人でゴシップや愚痴を言い合い、

私の劣っている部分を馬鹿にして盛り上がるため、

それを聞いているのが苦しいです。

 

普段は両親が揃うことはないですが、

家族の誕生日などのイベントのときに集まると毎回そんな感じです。

 

なので、過去の自分の誕生日祝いを振り返ってみると、

ここ何年かは悲しい気持ちを抱えて泣くばかりでした。

 

二十歳ぐらいまではそこまで傷つくこともなく、

嫌な気持ちも大きくはなかったと思います。

しかし、そこから自分が成長した結果、親との時間が無意味に思えてきて、

同時に親が説教する性質も強くなった気がします。

 

誘いを断ると機嫌が悪くなる親

過去にそういった悲しい思いをしてきたため、もし今年も誘われたら

「今年こそは断ろう」

「もう悲しい思いは二度としたくない」

と心の内で決めていました。

 

11月の中旬、私と父親と2人で会ったとき、

例年通り、私がこんな思いで接していることを知る由もなく、

誕生日祝いをいつやるか訊いてきました。

 

やるかやらないかではなく、やる前提です。

 

訊かれたら断ることを決心していた私は、

「やらなくていい」と断りました。

 

すると、少し戸惑った様子をしたのち断られたことに対して不満を抱いたようで、

「誕生日を祝う理由は生きてきた証だから」

「やってもらうっていうんだから断る必要ないだろ」

と言われました。

 

つまり、相手が善意でやってくれる場合には素直に受け取れということです。

 

それは違うんじゃないかと思ってて、

自分がやって欲しいことをしてくれるのであれば受け取りますが、

親がやりたいことを一方的に押し付ける行為だと思います。

 

それだと押し売りされているのと同じで、

売られている側としては迷惑なだけ。

 

散々不満そうな態度をとった挙句、

「昔は自分(父親)も物事を考えすぎることがあったが、考えすぎない方がいい。」

と言ってきたが、そういう思考停止人間にはなりたくない。

 

意見をぶつけ合った結果

この顛末を父親が母親に話したらしく、母親から連絡が来ました。

誕生日祝いをされたくないことを伝えたものの、

親の気持ちに応えるのが当然と思っているらしく、

「食事したい」「食事したくない」

という互いの気持ちが平行線になるまま解決しませんでした。

 

ただ、私の気持ちと親の気持ちはイーブンではないと思っていて、

親の気持ちを採用すれば、親は満たされて私が精神的に害を受け、

私の気持ちを採用すれば、私は害を受けずに親が寂しい思いをします。

 

このとき、相手に危害を加えるという観点から考えると、

しないことによって生じる害よりも、

することによって生じる害の方が悪いと思います。

 

さらに、父親とは頻繁に会っているのに母親とは食事に行く機会があまりないことを言われ、しょうがなく母親と2人で行くことで丸く収めました。

 

断ったのは正解だったと思う

ここまでのことを石の裏のダンゴムシの会で話し、

「誕生日を親に祝われるのが当たり前なのか?」ということを皆さんに聞いたところ、

自分のように親に祝い事をされる人はおらず、

メールだけの人や何もされない人ばかりでした。

 

だいたい学生のときも周りの人はそんな感じでしたが、

自分の親の異常さを改めて感じました。

 

でも、今回断ったのは進歩だと思います。

今まで嫌で辛い思いをしながら親の言いなりにしてきて、

ようやくNoと言うことができました。

 

断りたくても金銭的な利益を優先して我慢してきましたが、

精神的に損をしてトータルでマイナスだったら断ったほうが良い

という判断は正解だったと思います。

 

まとめ

過去数年間にわたって誕生日祝いで悲しい思いをしてきましたが、

今年は少し平和に過ごせそうです。

 

加えて、昔の友達以外にも誕生日を祝ってくれた人が居てくれて、

とても嬉しいです。

 

来年はもう少し親との接触を減らすようにしたい。